宇治茶の歴史
京都のお茶と言えば宇治茶です。宇治茶は高級品が持つ風味豊な香りと、渋みが少ない甘さが人気で、現在でも多くの愛飲者を持つ日本茶です。宇治茶は日本茶の歴史に古くから登場し、茶の湯と共に広がって行きました。その始まりは、栄西禅師が宋から持ち帰ったお茶の種を譲り受けた、京都栂尾高山寺の明恵上人が栂尾深瀬の地にその種を播いたことから、宇治茶の歴史は始まりました。明恵は山城宇治の地に茶の木を移植し、お茶の普及に努めました。明恵上人によって、ここからいよいよ宇治茶の歴史がスタートしたのです。
宇治茶の歴史と日本茶の歴史は重なる所が多々あります。それだけ宇治茶の歴史は古く、日本茶のルーツ的存在と言えるからに他なりません。足利義満・善政は宇治茶が優れたお茶である事を認め、茶園を作ってお茶の栽培を奨励したことから、宇治の地はお茶の産地として著名になって行きます。南北朝時代の末に登場した宇治茶は、瞬く間にその名が知られ名声を高めていくことになります。しかし当時はまだ、明恵上人がお茶の木を移植した栂尾深瀬の地が有名で、この地のお茶を本茶と呼ぶのに対して、宇治茶は非茶と呼ばれていました。足利将軍が「宇治七銘園」拓いた事により、宇治は名実共に天下一品のお茶の産地になり、栂尾の茶に代わりその地位を固めました。
江戸時代になると、幕府が使用するお茶を幕臣が毎年京都から運んでいました。これは「お茶壺道中」と呼ばれ、徳川家光が1633年に始めたと言われています。お茶壺道中は江戸幕府が終焉する1867年まで、その回数235回を数えました。徳川家にとっても宇治茶は、愛され飲まれていた事が分かります。寛永年間からは、たとえ大名であったとしても、道中でお茶壺道中に行き会えば、その通行を優先するほどの権威があったとあります。現在でも、お茶壺道中を再現した催しを行っている市もあります。
江戸時代中期、抹茶はまだ一部の富裕層にしか飲まれておらず、その製造も一部の宇治茶師と呼ばれる限られた技術者が独占していました。庶民と言えば、露地の茶の樹から刈り取った葉を日干しや釜煎りにした、黒色の煎じ茶や番茶を飲んでいました。1738年、山城国宇治の永谷宋円が抹茶製法を取り入れた、緑色で味・香りとも優れた煎茶を完成しました。このお茶は江戸の山本嘉兵衛によって販売され、江戸の諸侯の間で大評判になり急速に普及して行きました。
京都のお茶
- 京都の清水寺・八坂神社の近くのおいしいお茶漬け屋さんを探してい
- 2002-10-31 11:57:00
- この連休に京都に遊びに行きます。おいしいお茶漬けが食べたいのですが、四条・三条あたりでおいしいお茶漬け屋さんをご存知ないでしょうか?宜しくお願いいたします。
- 京都のお茶に詳しい方、抹茶好きな方 教えてください!
- 2005-08-19 15:01:00
- 京都に住んでいながらお茶にこだわったことがなかったのですが、最近お茶の奥深さに興味がわいてきました。といっても全く詳しくありません。もう夏も終わりに近づいていますが・・・玉露・煎茶・ほうじ かりがね グリーンティ 抹茶アイス
- 京都のお寺でお茶したい。
- 2008-09-28 18:38:00
- 今週、ちょっとだけ京都に行きます。お寺でお茶できるところを教えていただけますか?鈴虫寺とか大徳寺とかもそうらしいですが、お話など聞かなくても、ちょっとお茶が飲めるところってあるんでしょうか?